許すと赦すの違い – 自分を甘やかすことと敬意を持つこと

どもども、葉山です!
今日も少し深い話になりそうだけど、最後まで読んでもらえると嬉しいです。
「許す」とは?
よく「自分を許しましょう」と言われるよね。
✅ こんな自分もOK!
✅ 無理して自分を責め続ける必要はない!
確かに、それも大事。
でもね、この「許す」という行為が一歩間違うと、自分を甘やかすことにつながる。
例えば、
✅ 「まあ、これぐらいはいいか」
✅ 「自分はこういう人間なんだから仕方ない」
こうやって「許す」ことに慣れすぎると、 怠惰に陥ってしまう。
僕も、自分を甘やかすときはあるし、それ自体は悪いことではない。
でも、バランスが大事。
何もしない時間が増えるほど、
➡️ 1日1日、可能性が錆びついていく。
➡️ その可能性を動かすには、より多くのエネルギーが必要になる。
だからこそ、 許すことと、そこで止まらないことのバランスを意識する。
「赦す」とは?
「赦す」って言葉、ちょっと硬いイメージがあるよね。
✅ 神が人を赦すみたいなニュアンスがある
✅ 普段はあまり使わない漢字
でも、ここで伝えたい「赦す」は、 単に許容する・受け入れるという意味とは違う。
僕が思う「赦す」とは、
➡️ 「前に進むための自分への応援」
➡️ 「自分への敬意」
自分には語る資格がない?
これまでたくさんの人たちと関わってきて、
「自分には語る資格がない」と思っている人が多いと感じた。
✅ 過去の失敗ややらかしで自信がない
✅ まだ結果を出していないから自信がない
✅ 大したことないから、自分の話には価値がない
✅ あの人みたいにできないから、私はまだまだ…
でも、そう思っている人こそ、 自分を赦してほしい。
一生懸命生きてきたんだから、それだけで語る資格はある。
「赦す」は前に進むための力
✅ 反省すること
✅ 振り返ること
✅ 謙虚でいること
もちろん、大切。
でも、
➡️ 「それでも一生懸命生きてるんだからいいじゃん?」
➡️ 「そんな自分を赦して、応援してあげようよ!」
って思うんだよね。
これまで 全力で生きてきた自分に敬意を表してもいい。
「赦す」ことは、前進する力を取り戻すための重要なステップ!
だからこそ、
自分を赦して、一歩前に進んでいこう。
んじゃ🖐️
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